僕は読書が大好きです。
と、同時にその方法についてもかなりの時間悩んできました。
「速読」という文字に飛びついてみては、ワケのわからない方法で時間を無駄にしてしまったり、
「精読」だと意気込んで読書をすれば、いつの間にか寝ていたことは数知れず、です。
そんな僕ですが、最近最強の読書法にたどり着く事ができました。
ネタバレしちゃうと、その最強の読書法というのは“情動を動かす”ことです。
以下では僕の読書遍歴と並行して失敗を踏まえ、”情動を動かす”とは一体どういうことなのか、
なぜ最強の読書法なのか?について、見ていきたいと思います。
僕のしてきた薄っぺらい精読(モドキ)
最強の読書法に移る前に、過去の僕の失敗を少しだけ語らせてほしいと思います。
僕は中学生~高校生の時、読書が大好きでした。
当時「三國無双」というゲームが流行っていました。
そのかっこいい世界観から「三国志」に興味を持ちました。
そこで中学2年くらいの時に、まぁ数ある三国志の中でも、とびきり分厚い三国志を読書していたわけです。
ただし今振り返ってみると、それはただ目で字を追っていただけのことが多かったように思います。
つまり詳細なストーリーが頭に入ってこない。
例えば「赤壁の戦い」は「レッドクリフ」という映画にもなったくらい有名で、三国志でも屈指の名場面です。
これもなぜその戦いがすごいのか?
諸葛亮孔明が風を起こしたけど、なんでそもそも風が必要だったのか?
というかどういう経緯で呉と蜀が手を組んでいるのか?
などなど、一切の説明が出来ないレベルでした。
今にして思えば
「こんなに分厚い三国志読んでいるオレカッケー」
と悦に浸っていたのかもしれません。
ちなみにこの字面だけを追うのは、つい数年前まで引きずっていました。
大人になれば成長するものではない、という僕の数えきれない反省点の1つでもあります。
薄っぺらい速読
大学生の頃は、無駄という無駄を重ねた時間の無駄使いをしていましたので、
特に読書はしていませんでした。
社会人になってからは
「できるビジネスマンになったるで!」
と意気込み、高校生以来の読書熱が再燃することとなります。
読んでいたのは流行りのビジネス書。
新刊が出れば即購入し、速読。
ツイッターで話題の本があれば即購入し、速読。
いつしか「ビジネス書読み漁っているオレカッケー」状態に陥っていました。
しかし、しばらくして、ふと振り返ってみると全然本の内容を覚えていないことに気づきました。
まるで成長していません。
そこで考えてみたのですが、その理由は2つありました。
・ペラペラなビジネス書を読み漁っていたこと
・知識の電脳化を行っていなかったこと
前者に関しては「流行りのビジネス書をいくら読んでもさほど意味がないこと」に気づき、辞めました。
そのかわり名著や古典と言われるものを読むようになりました。
後者に関しては、「そもそも全部頭で覚えよう」ということ自体に限界があることを知りました。
以下の記事でも述べましたが、山口周氏の本を参考に「情報のイケス」を作っています。
これは今でも続けていて、結構いい感じです。
たどり着いた最強の読書法は”情動を動かす”
さて、僕の中で読書法については一旦落ち着いたようにも見えました。
転機はふろむだ先生の「人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている」を読んだことですね。
本の内容はこれまた面白く、すっかりふろむだ先生のファンになった僕。
気づけばふろむだ先生のブログを読み漁っていました。
そして以下の記事にたどり着き、雷に打たれたような気持ちになりました。
ワシに欠けていたものはコレだった!!!
と素直に思いました。
そう、最強の読書法とは精読でもなく速読でもなく“情動を動かす”ことだったのです。
…”情動を動かす”とはどういうことか?
これはつまり世界観に入り込む以上に、本の中の人物に入り込み、その世界観や感情を感じ、
果てはその時々の空気感、汗、呼吸、感触などを自らのごとく感じることです。
(゚Д゚)ハァ?と思う方も多いかもしれません。
が、この”情動を動かす”醍醐味は、通電とでもいうべき、自身の情動とは異なる情動を動かすことにあります。
これには、正直ハッとさせられました。
だからなのか、と。
だから読書家でも知識だけを語る人もいれば、とんでもない知恵を有する人もいるのか、と。
ただ僕としては悔しいことに、この”情動を動かす”読み方を素で出来ている方が多くいらっしゃるのは事実だと思います。
例えば、僕の敬愛する楠木建先生。
楠木先生は競争戦略の専門家で、著書も数多く出されています。
中でも「ストーリーとしての競争戦略」は最高の名著です。
僕は先生の言語化能力の異常な高さに痺れ、それ以来ずっとファンです。
さて、その楠木先生の趣味は「読書」。
帰宅すると、飯風呂以外はほぼずっと読書されているそうです。
本の中の世界観に入り込むことを楠木先生は私的用語で「トリップ」とおっしゃっています。
あまりに面白い本はトリップしてしまい、時間を忘れるのはもちろんのこと、
その世界観に浸り、あたかもその世界を体験しているかのような状態になるそうです。
楠木先生の読書は至ってシンプルで、本を読んだら、ツイッター等でサクっと感想を呟き、
後はもう何もしません。
たったこれだけなのに本の内容は詳細に覚えてらっしゃるし、
先生の洞察力や思考に読書が一役買っているのも間違いなくありません。
僕はこれが不思議で不思議でしょうがなかったのですが、”情動を動かす”ことを知ってから気付かされました。
楠木先生のおっしゃる”トリップ”とは、まさしく”情動を動かす”ことだったということです。
ちなみに紹介しても「誰やねん」という感じになるので語りませんが、
この”情動を動かす”読書が出来ている方はリアルな僕の周りにも2,3人いらっしゃいます。
皆さんに共通するのは、さほど読書数が多くはないのに、驚くほど思慮深いという点です。
読書は”読むため”にするのではなく”考えるため”にする
とまぁ最強の読書法と語っておいて、その実は”情動を動かす”だなんて拍子抜けした方も多いのかもしれません。
ですが、そもそもそのまま読書するのではなく、思考を挟むということは、ずっと昔から言われていることなんですよね。
一例として、イギリスの哲学者、フランシス・ベーコンはその著書『随想集』で
信じて丸呑みするためにも読むな。話題や論題を見つけるためにも読むな。しかし、熟考し熟慮するために読むがよい。
と語っています。
ちなみに僕は”情動を動かす”初心者ですが、かなり”情動を動かす”のに苦労しております。
とはいえ、その効果は絶大で、より深い洞察に結びついている感じを受けているのが事実です。
(フィーリングだけで終わらないことを願うばかりですが)
ふろむだ先生によると、”情動を動かす”ことに慣れると簡単に出来てしまうそう。
そしてこれは何も読書に限らず、漫画、映画、アニメ、演劇、音楽にだって応用出来てしまうわけです。
正直”情動を動かす”読書をしていれば、平日アフターで酒ばかり飲んでいるおっさんとは、
長い目で見るとトンデモない差が出てくるわけです。
というわけで”情動を動かす”読書法を知らなかった5年前の僕に、今の僕を簡単に超えてほしいがために書いた記事でした。
レッツ”情動を動かす”読書!