現代の魔法使いと称される落合陽一先生。
最近ではよくメディアでも取り上げられている印象がある。
僕も氏の本は何冊か読んだことがあり、彼の専門分野と教養のある論の展開にハマった口だ。
で、先日ふとyoutubeで落合陽一先生の以前出演された動画を見ていた。
すると、特に食に関する話題で「おぉ?!この人めちゃ食への造詣が深いやんけ!!」と妙に納得してしまった。
正直な所、以前放送された情熱大陸での氏の特集では、偏食が妙にクローズアップされていた。
一緒に番組を観ていた元婚約者の感想は「何か気持ち悪い」だった。
だがあれは全くの誤解だと声を大にして言いたい。
中でもキーワードは「複雑さの重要性」と「分析とは比較」ということだ。
というわけで落合陽一先生に共感させられた食の話を書いていきたい。
誤解されかねない情熱大陸での食シーン
以前放送された情熱大陸の放送。
僕は全然時間が足りないなぁと感じた。
番組の尺の問題もあるだろうが、かなり中途半端な印象を覚えた。
加えて、冒頭も述べた氏の食の場面。
例えば、レトルトカレーをストローで飲む。
「結構美味いっすよ」
そう氏は語っていたが、一体何人の人がテレビの前でひいていただろう。
例えば日中の食事はお菓子、それもグミを好むこと。
メディアアーティストとして世界的に活躍する先生の超絶偏食っぷりに視聴者はドン引きしたに違いない。
例えば奥様との食事。
外食で貝を食べている時に
「すごいよね。複雑さの極みだよねー」
と氏が言われていたのに対し、奥様は
「………(^_^;)」
みたいな顔が印象的だったのは僕だけじゃないはずだ。
だが以上の話はとんでもない誤解を招きかねない。
肝心の動画とオレンジジュースの話
まずその肝心の動画を貼っておく。
出演して音だけ拾っているので、動画を観るというよりは聞くに近い。
共感した話のその1がオレンジジュースの話。
氏はある時、果汁100%のオレンジジュースを飲み続けたという。
そしてしばらく経ってからコンビニのオレンジジュースを飲んだ。
その時感じたのは「単一」であったという。
氏曰く、果汁100%のオレンジジュースは、まず味の起伏がある。
加えて、果実の個体差もあるため毎回味が違う。
一方、コンビニのオレンジジュースはとにかくペラい様な印象だったそうだ。
ここで氏は食べ物の「複雑性」の重要性を説く。
で、これが食品の商品開発、とりわけ美味しいものを作ろうと思ったらかなり重要な点なのだ。
シンプルな醤油ラーメンを例に取る。
クオリティが上がってきているとはいえ、どんなに気合の入って作られたカップ麺・チルド・冷凍食品の醤油ラーメンも、実店舗には敵わない。
それは既成品のものには複雑さが無いからだ。
確かに、味自体は美味しいものを作ることが可能。
だが、だしなどのベースに醤油だれのかえしを足して、経時変化していくあの感じの再現は、やはりお店でないとムリなのだ。
すすった時の鶏の風味と醤油の先味。
と思えば中味は厚みのある肉肉しいベーススープの味。
最後にほんのり酸味とキレ。
そしてこの先・中・後味全体も食べ進めることで一体化してくる。
あくまで一例ではあるが、こういったストーリー展開とも呼べるような経時変化があるからこそ味わい深い。
これこそ僕がラーメンを愛する理由だ。
分析とは比較である
「分析とは比較である」
これは数年前熱狂的効率厨だった僕の頭をかち割った「イシューからはじめよ」で出てくる一節だ。
まさに言い得て妙。
話を戻すが、落合陽一先生の食の比較。
なんと外食チェーンもたまに行くらしい。
ただ、それは「この日に食べに行く!!」という計画性を持ってだそうだ。
出てきたのは鰻の話。
鰻を食べると決めたら、朝は吉野家の鰻を食べ、昼はすき家のうなぎを食べ、夜は高い鰻を食べる。
で振り返って「あれ、結構すき家のうなぎって費用対効果高くね?」と考えるとのこと。
これ、全くMR(マーケティングリサーチの略)と同じだ。
我々食品の開発者も、あるテーマが決まればそればっかりを比較で食べ続ける。
そして違いと共通点を浮き彫りにし、本質に迫る。
まさに分析とは比較の話なのだ。
落合陽一先生は研究者だから至極当然のことだったのかもしれないが、
妙な親近感が湧いたのは事実であった。
おわりに
というわけで誤解されやすい落合陽一先生の食の視点と、その共感の話でした。