「好きなドラマーを挙げろ」と言われれば、これでも1ジャズファンなのでパっと思い浮かぶ。
ポールモーションのスペーシーなドラムは最高だし、トニーウィリアムスのカミソリみたいなビートを刻むドラムもかっこいい。
中でも以前からずっと好きで、今でも大好きなドラマーがエルヴィンジョーンズだ。
彼の素晴らしさは「タメ」と「うねり」ではなかろうか。
繊細なブラシワークも美しい。
もちろん、モーダルでアップテンポの時のドラムはめちゃかっこいい。
彼のレコーディングもハズレが中々無いが、とりわけ好きな盤は「puttin’ it together」だ
Joe FarrellとJimmy Garrison、そしてElvin Jonesのサックストリオ。
コードレス編成で緊張感のある中、各々の個性が際立つ名盤だ。
全曲良い。
Elvinとガンコオヤジ
ふと部屋を整理していたら、この盤が出てきて久しぶりに聴いた。
やはりめちゃくちゃかっこいい。
のっけのRezaで、カリプソっぽい刻みから始まるエルヴィンのドラムがたまらない
この盤を聴きつつ、あるジャズ屋のマスターを思い出した。
僕がエルヴィンを大好きになったのは、多分に彼の影響がある。
そのマスターはジャズライブハウスのオーナーであり、ドラマーでもあった。
そして、その彼の最も尊敬しているドラマーがエルヴィンだったのだ。
ジャズの全てを彼から教わったといっても過言ではない。
まだペーペーだった(今もだが)ベーシストの僕をことある事に呼びつけ、セッションやライブの機会を与えてくれた。
彼は厳しく、いわゆる「ガンコオヤジ」で、よく叱られた。
映画「セッション」では、主人公のドラマーが教師から暴力的な指導を受ける。
その前評判を期待して観た。
だが、シンバルを投げられる以外の仕打ちは、大体僕がそのガンコオヤジから受けたものに似ていた。
とても複雑な気持ちになった。
そのガンコさと激情っぷりに、学生のみならずアマチュアミュージシャン、時にはプロからも恐れられていた。
そんなオヤジっぷりだけ注目されがちだったが、同時にとても心の温かいの人でもあった。
人と真剣に向き合いたいから、感情を丸裸にして人と衝突する。
そんな人間臭さを持ったオヤジであった。
「楽器をやめる」なんてことは、そもそも無い
僕はそのオヤジの語る話が好きだった。
中でも「楽器を辞めるなんてことは、そもそも無い」という話はとても印象的だった。
曰く、楽器を一度始めてしまったら、プロだろうがアマだろうが、その人は一生ミュージシャンなのだ。
だから楽器を手放すことはあっても、「楽器を辞める」ということは、そもそも無い。
いつでも楽器を手にすれば、ミュージシャンになれる。
以上のような内容だったと思う。
かつての先輩・後輩は楽器を辞めたのだろうか
思い出せば大学のジャズ研は僕の青春であり、楽しかった。
ひたむきに練習するのも良し。
授業をさぼってサークル棟で友達とセッションするのも良し。
とんでもないレベルの低い定期演奏会を催し、ジャズの興味の無い友達にチケットを売ったりした。
サークルの後にみんなで飯を食いにいくのもいい思い出だし、だらだらと酒を飲みながらジャズ談義をしたり、B級映画を夜通しでみたりもした。
今、かつてのサークルの人達とはほとんど疎遠になっている。
ある先輩は家庭を持ち、すっかりジャズとは無縁になった。
ある先輩も家庭を持っているが、空いた時間をなんとかジャズに費やしているという。先日念願のdavid gageを購入したらしい(!)
ある同期はバリスタとして頑張っている。たまにフリーインプロのジャムセッションに行っているみたいだ。
ある後輩は、全く練習しないものの、地域のビッグバンドに所属。趣味として演奏を楽しんでいたりする。
上に挙げたケースは一例で、大半の先輩・後輩は楽器をほとんど触ってすらいない。
彼らの大半は楽器を辞めたのだろうか。
いや、そういう認識をしているのだろうか。
「楽器を手にすれば即ミュージシャン」という意識は心に余裕を生む
僕も、以前に比べめっきり楽器に触れる機会が減ってしまった。
ライブをするのも観るのもここ1年ほどしていないし、セッションに参加した回数は片手で数えるほどしかない。
楽器のウッドベースだが、平日は弾く機会がほとんど無く、休日は公園でちょこちょこ弾く程度。
半分物置と化してきた。
端から見たら、僕はジャズから遠ざかっているように見えるかもしれない。
だが、やはり僕の中では「楽器を辞めるということは、そもそも無い」という考えが染みついている。
楽器に触る機会がめっきり減ったのは、他にやりたいことがたくさん出てきたのが大きい。
だから相対的に楽器に費やす時間が減った。
楽器を手にすれば即ミュージシャン。
その言葉を自身の軸にして、休日ウッドベースと戯れている日常を送っている。
「楽器を辞めるということは、そもそも無い」という考えは、結構良い。
楽器を持っているにもかかわらず中々取り出す機会もなく、「あぁ全然楽器吹いてないな」と嘆く人もいる。
かつて演奏していた自分を懐かしみ、感傷に浸る人もいる。
そういった楽器と距離が出来てしまった人達の多くに、少しネガティブな気持ちがあったりする。
そうなった環境の変化は好ましいことだと思う。
以前と比べ、新たなライフスタイルを得た何よりの証拠だ。
大事なのは「楽器を辞めるということは、そもそも無い」という認識。
そして、「楽器を触ればいつでもミュージシャンに戻れる」という認識。
これらを以て新たな心の余裕を作るのは、悪くないと思う。
あれ、冒頭のエルヴィン関係なくなったな