松本清張の「半生の記」を読み終えた
忘れないうちに備忘録として書き留めておきたい
印象
決して楽しい本ではないということを強調しておきたい。
松本清張のデビューは遅い 42歳
そして本書は、42歳で小説家デビューする以前の半生を綴った本である
想像を絶するほどの貧乏。
本書の最初から最後まで鬱屈した雰囲気が漂っている
見所1
実をいうと、僕は松本清張の著作を一冊も読んだことがない。
しかし著作を読んだことがなくとも、「黒革の手帖」「砂の器」などの名前は聞いたことがある
だから、単純に成功した作家だと思っていた。
だが小説家デビューまでの半生は、常に貧困との戦いだった。
父母・妻子をどうにか養っていかねばならないということで頭がいっぱいだった。
希望も持てず、退廃的な気分で生きてきたことがわかる。
見所2
もうひとつの見所としては、時代の風景や生活環境だと思う
松本清張は戦前に生まれ、 途中先の対戦で徴兵され、戦後は家族を養うために黙々と働く。
戦前・戦中・戦後を一庶民の視点で描かれているので、妙にリアルだ。
特に戦後、商売のため広島や大阪に行くエピソードは、当時の戦後の状態を知ることが出来る。
また舞台のほとんどは小倉で、その当時の地方がどういった環境だったのかも知ることが出来、面白い
抜粋1
これ奥さんや子供が見たら(と言うか多分見ているけど)やばいんちゃうかということが淡々と書かれている
だが、正直なところ、私は佐賀の家に戻るより小倉で独りでのうのうとしていたかった。仕事がないだけに実際の休養にもなった。それに何よりも独りの自由が欲しかった。人間地獄とも言える佐賀の百姓家に戻るのが憂鬱でならなかった。
だがこれは決して突発的な著者のわがままではない。
幼少の頃からの 両親の拘束があった。
常に貧困に悩み、学歴も無く、差別もされ、希望も抱けず生きてきた。
ホームに降りたとき、私はふしぎな解放感に浸った。それは軍隊からやっと抜け出たというためでもなければ、便所にも行けない汽車から降りたためでもなかった。いま、私はたった一人であった。これから二里の道を歩いて両親や妻子のいる家に戻るのも、ひとりでどこかに逃げて行くのも私の自由であった。なぜ、そんな考えは起こったのか。
一人息子ということで、小さい時から必要以上に両親は私を拘束した。それは息苦しいほどだった。ひとりで勝手な行動ができる友だちを、どれほど羨しく思ったかしれなかった。それはこの立場に置かれた者でなければ理解はできないだろう。
抜粋2
また戦時中の話も、一兵隊として参加しただけあって、朝鮮での話などはリアルで興味深い。
また、どうでもいい作業に苦心している軍の様子も描かれている。
軍隊というところはそんなものだ。役に立たないことが、さも有用げな仕事として通用する。戦争の過程でどれだけ大きな無用が有効そうに通用したか分らない。だが、これは軍隊だけではなく、官僚的な大きな組織には必ず存在していることである。
これなんか、むしろどこの会社にでも あるようなことではないだろうか
著者について
松本清張の小説家デビューは42歳。
その生涯を82歳で終えることとなるのだが、その作家としてのエネルギッシュさは半端なかった。
80歳を過ぎても、週刊文春に5ページ、週刊新潮に5ページの連載を持っていたという。
遺書には「自分は努力だけはして来た」と記されていたという。
読了後の所感
最初に述べたが、本書は痛快さとか、そうしたものとは無縁だ。
暗い雰囲気が一貫して、ある。
だが不思議と、あとがきを読んだからなのか、もしくは松本清張と言う著名な作家だからだろうか。本書を読み終えた後に残るのは後味の悪いものではない。
むしろ少しすっきりした感じを覚えた。
松本清張は42歳で小説家デビュー。
そういえば伊能忠敬は55歳から17年かけて地図を作った。
ケンタッキーのカーネル・サンダースがフランチャイズを開始したのは65歳だ。
「年齢」を1つの言い訳にしてはならないと強く印象つけられた。