「昨日までの世界」を昨日読み終えた。
鉄は熱いうちに打て、ということで早速紹介したいと思う。
サピエンス全史とかの本が好きなら超オススメだ。
概要1
この本、ジャンル的には進化生物学だと思う。
なんといっても本の面白さは「昨日までの世界」と「今日我々の生きる社会」との対比、そしてそれにまつわる素朴な疑問の検証に尽きる。
例えば「かつてのニューギニア人の子供はアメリカ人の子供よりもよほど社会的に自立していた」という事実が出てくる。
これにわくわく感を抱いた人は即購入すべきだ。
概要2
もう1つの側面として。
未来は予測できないから歴史に学ぶしかないという面と、その当時生きた人がどのような考えでどう行動したかという面。
この2つを以て僕は歴史を学んでいるし、事実それが大好きだ。
ある意味でこの本も歴史本だと僕は捉えている。
それは「昨日までの世界」と「今日の世界」を対比することで、現代にも通じる様々な課題が浮き彫りになるからだ。
「昨日までの世界」とは?
さて、先程から散々引用している「昨日までの世界」とは何か。
これは訳者の後書きから引用するのがわかりやすいだろう。
たとえば、ニューギニア高地人は一九三一年に西洋人によって「発見」された。それまで西洋世界をまったく知らなかった彼らは、六〇〇万年におよぶ人類の進化の歴史の「昨日までの世界」を色濃く映し出している。「昨日までの世界」とは「進化的に昨日」という意味である
ダイアモンド博士によれば、伝統的社会には人類の脳と認知が形づくられた進化適応環境の片鱗が残っているという。いまなお世界に残る伝統的社会には、あらゆる人間の祖先が数万年前から実質的につい昨日まで送ってきた生活の特徴が残っているのである。
伝統的社会と今日我々の社会とを比較し、課題を浮き彫りにする。
他者との関わり、紛争、子育てと高齢者の問題、危険について、宗教、言語の多様性、健康と幅広い。
本書はボリュームがあるが、興味のあるテーマから読むのも1つの手だろう。
面白かった章の1つが「宗教」
かくいう僕も中だるみして飛ばした章もある。
逆もまたしかり。
のめり込んだ章の1つは宗教だ。
下の記事でも書いたが、最近宗教が気になっている。
ダイアモンド先生は宗教の起源について以下の様に述べている。
宗教の起源は人類の形質のどの部分にあるのか?この問いに対するひとつの答えは、起源は人類の脳の思考機能にあるというものである。人類の脳は、原因と主体と糸を推定する努力と、そこから考えられる危険を予測する能力を徐々に磨いていった
サピエンス全史にもあったが、ホモ・サピエンスは「虚構」を作り出すことで繁栄出来た。
そう考えると宗教の起こりは、人類として必然だったのかもしれない。
また、馴染みの薄い宗教について、その具体的な役割も載っており目からウロコであった。詳しくは本書を読んでいただきたい。
著者について
本書の著書ジャレド・ダイヤモンド先生は、言わずもがな「銃・病原菌・鉄」の著者として有名である。
「銃・病原菌・鉄」も最高に面白いので、まだ読んでない方はぜひ。
「わしらは人種的に劣ってたから欧米との文明の差が開いてしまったんかな?」と呟いたニューギニアのおっさんの一言をきっかけに、なぜ世界の文明の発展に差が生じたかについて切り込む作品だ。
本書でもそうなのだが、ダイアモンド先生は論文とデータを武器に、提起された問題にじっくり取り組まれている。
著者の作品はどれも説得力があり、魅力的なテーマを扱っている。
ちなみにtedでは何本かスピーチがある。
その中の1つは「昨日までの世界」でも取り上げられている「高齢者」についてだ。
気になった方は見てもらいたい。
僕はどう生きるか
本書は「昔の世界は良かった。昔の世界に戻ろう!」とは決して主張していない。
むしろ、「昨日までの世界」との対比により、現代社会のありがたみを強調している。
一方で伝統的社会から学べる点の多さも強調しており、その究極的な導入には国家の介入も不可欠だと述べられている。
だが、どうも僕は別のメッセージが加えられている気がしてならない。
それは「君はどう生きるか」ということだ。
「昨日までの世界」、そして今日の社会、そこから学び自分はどうしていくのか、それは自分の頭で考えてみようと言われている気がしてならない。
知的好奇心を超くすぐる本として未読の方にオススメしたい。
参考文献